【レビュー】『まどわされない思考』デヴィッド・ロバート・グライムス

インターネットが普及して、ソーシャルネットワークを使ってさまざまな情報が瞬時に多くの人々共有される現代。有益な情報も伝達されるけれど、フェイクニュースやデマが広がるのも早い。実際、今でも新型コロナウイルス感染症流行初期にトイレットペーパーが店頭から消えたり、HPVワクチンについてマスコミが広げた悪いイメージが今も払拭されず日本の接種率が世界からみてもあり得ないくらい低い、などということが起きています。

そんなふうに、この世界が二極化し、分断されてしまうことを防ぐために、私たちはどうすればいいのでしょうか。本書には、私たちの心構えとして、「何でもかんでも信じるのではなくて、考えをとりあえずテストする」という批判的アプローチを取ろう、ということが書かれています。

目次

批判的に考える能力

大量の情報が自由に手に入る現代だからこそ、誤解や誤報、フェイクニュースも瞬時に広がり、長く生き続ける原因となっています。とくにオンラインで一番共有されやすいのは、強い感情です。私たちは、正確さや社会的価値などよりも、人々を感情的に最も刺激するようなコンテンツを選んでしまう傾向があることが、米国科学アカデミー紀要(PNAS)の調査で分かりました。また、間違った話でも何度も聞いていると、たとえ正確な答えを知っていた場合でも作り話の方を信じてしまう、ということも研究で明らかにされています。

だからこそ私たちは、ニュースを鵜呑みにするのではなく批判的に読み、それがエビデンスと論理によって導き出されたものかをきちんと評価する必要がある、というのが本書の主張です。

そのための考え方、こじつけのさまざまなパターンについて説明がされています。

ヒューリスティック(経験則)

私たちは、過去の経験を基準に、直感にしたがって素早い決断を下すことがあります。ヒューリスティックすなわち経験則は、いわば思考の近道で、私たちが日常的に行っていることなのですが、必ずしも正しいとは限りません。

瞬時の判断が生死に関わる大問題だった時代には、この能力のおかげで人類は生き延びることができました。しかし、現代の私たちが直面している問題は、直感や経験則で判断するには込み入ったものが多くなっています。単純に白黒つけられるものではないので、新しい情報と照らし合わせながら、熟考と修正を繰り返す必要があります。

論理的誤謬(こじつけ)

後件肯定

後件肯定とは、「もしPならばQである。Qである。したがって、Pである」という推論のこと。例えば、

すべての人間は死ぬ。
ソクラテスは死んだ。
したがって、ソクラテスは人間である。

これは一見正しいように見えます。しかし、「人間」を「犬」に置き換えてみるとどうでしょうか。

すべての犬は死ぬ。
ソクラテスは死んだ。
したがって、ソクラテスは犬である。

となって、前提自体は正しいのですが、結論が間違ったものになってしまいます。これと同じような誤謬が商品広告にも用いられているそうです。魅力的な成功者が商品を求める姿を映し出すことで、その商品を買うと魅力的になれる、とほのめかしているのです。また、陰謀論者が自分たちの考えを正当化するためにも用いることがあります。

隠蔽工作がある場合、公式声明は我々の見解を否定するだろう。
公式声明は我々の主張を誤りだと証明した。
したがって、隠蔽工作があった。

選言肯定の誤謬

選言肯定とは、「AまたはBである。Aである。したがって、Bではない」という推論のことです。例えば、

君が間違っているか私が間違っている。
君は間違っている。
したがって、私が正しい。

この例では、もちろん二人とも間違っている場合があるので、論は成り立ちません。しかし、この形式的誤謬は政治の世界でよく用いられているそうです。自分の信頼性を高めるために、相手をこき下ろすのは、政治家たちの常套手段です。

媒概念不周延の誤謬

バイガイネンフシュウエン・・・難しい。

全ての Z は B である。Y は B である。従って、Y は Z である」という論法で、三段論法の媒概念(両方の前提に現れるが結論には現れない概念)が「すべての」や「すべて・・・ない」のような形で明確に周延されていません。このようなロジックから生み出される結論は、本質的に無効です。

例えば、

すべての無線放射は電磁放射である。
一部の電磁放射は癌を誘発する。
したがって、無線放射は癌を誘発する。

といった間違ったストーリーを作り上げることができてしまいます。「一部の」電磁放射であって「すべての」ではないので、この論理は成り立ちません。

誤った二分法

他にもたくさん選択肢が存在している状況でも、二つの極端な項目しか選択の対象としないこと。例えば、多重債務者に対して、

このまま借金取りに悩まされる人生を送るか、自殺するか、二つに一つだ

と言うようなことです。自己破産する、と言う選択肢もあるのに除外してしまっています。二つの対立項からなる形に単純化することで「別の道が存在しない」と言う印象を与え、より大きな主張を信じさせることができてしまいます。とくにソーシャルメディアでこの極端な対立構造が顕著にみられる、と著者は言っています。

動機づけられた推論

エビデンスが批判的に評価されるのではなく、もとから存在する信念を再確認するために曲解されること。自分の信念に反する証拠についてはあり得ないほど厳しい基準を要求するのに、自分のニーズに合った考え方は証拠がどれだけ薄っぺらくても批判せずに受け入れる傾向が人間にはあります。

プラセボ効果・ノセボ効果

人間の心理の奇妙な特徴の一つに、期待や信念だけで、現実の認識が変わってしまう、という現象で、これを説明するのに「プラセボ効果」があります。薬に薬効成分が含まれていなくても、症状の改善を期待するだけで、実際に症状がある程度改善する、ということです。

標準医療を拒絶し代替医療に走る人々がこれは効果があった、というのもプラセボ効果だ、と著者は言います。また、プラセボの逆パターンは「ノセボ効果」と言って(初めて知った)、本当はきちんとした治療を受けているのに、それを有害だと思い込み、体もそう反応してしまう、こともあるそうです。

メディアの影響

私たちは自分たちが気づかないうちに周りから影響を受けています。影響力がとくに強いのが、日々消費するメディア、広告、そして情報です。ナポレオン・ボナパルトは「話術において本当に重要なことはたった一つしかない。繰り返しだ」と言ったそうです。間違ったことでも、毎日繰り返し触れていると、私たちはそれを信じてしまいます。そして、メディアは、以前放送していたことが後で間違いだったと分かっても、それをきちんと訂正し謝罪しようとはしません(例えばHPVワクチンについての悪いイメージ)。

数字にも騙されやすいので気をつけなければいけません。

統計データがある考えを裏付けているように見えても、簡単に鵜呑みにすべきではない。たとえ数字がすべてを物語っているように見えても、そこには解釈の余地があることを忘れないように心がけよう。

第12章 偶然と確率

まとめ

科学的思考を忘れず、ニュースを鵜呑みにしないで批判的に考えることの大切さが書かれた本でした。とくに今のご時世、みんなが不安になり、デマやフェイクニュースが広まりやすい状況になってしまっています。とくに数値を出されると鵜呑みにしてしまいがちですが、根拠は何か?論理的に説明されているか?ということをつねに考えながら、自分の行動を決めていかないといけないなあと思いました。

以前レビューした『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』は、科学的に正しいことを伝えても、なかなか人は意見を変えてくれない、では人の考えや行動を変えたいときにどうしたら良いか、が書かれた本です。

論理的な説明とはどんなものか。私たちをまどわせるような誤謬にはどんなものがあるか、ここに取り上げた以外にもいろんなパターンが説明されていて勉強になりました。ぜひ読んでみてください。

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