【レビュー】『安政維新 阿部正弘の生涯』穂高健一

ペリー来航の際、攘夷の世論が主力だった中、冷静に海外の状況を判断し、開国を選んだ宰相・阿部正弘。

私は高校の時世界史選択だったので、日本史をちゃんと習ったのは中学校までですが、阿部正弘についてはほとんど知りませんでした。

ですが最近明治維新について本を読んでいると、阿部正弘が開国したのは英断だった、阿部正弘のおかげで日本は植民地化されずに済んだ、と書かれているのです。

阿部正弘ってどんな人だったんだろう、と思い、この本を読みました。

Hibino’s Point
  • 江戸時代に開国か鎖国か、身分を問わず広く意見を求めた
  • 海外の情勢をしっかり調査したうえで開国・通商へと舵を切った
  • 開国・富国・強兵という新しい国のグランドデザインを描いた
目次

33歳の若い宰相・阿部正弘

17歳で備後国福山藩主に。寺社奉行として大奥と僧侶の乱行を取り締まります。これまでの寺社奉行が見て見ぬふりをしてきた部分にメスを入れて、僧侶を処分。この裁量が認められて、将軍家慶から重宝されるようになります。

25歳で老中に就任。天保の改革で不正を行っていた水野忠邦を罷免し、27歳で老中首座となりました。

33歳のとき、ペリーが浦賀に来航し、通商を求める大統領からの親書を持ってきました。正弘はこの事態への対処を求められます。

日米和親条約

この国難を乗り切るため、正弘はアメリカ大統領新書の翻訳文を開示して、身分を問わず広く意見を求めます。

宰相の阿部正弘につよい権力欲があったならば、強欲な独裁者になれる最も近い位置にいたのだ。正弘はあえて『挙国一致』によるあたらしい政治の道をえらんだ。
「あたらしい時代がきた。我が国はいままで250年も、戦国時代の群雄割拠の領地支配のままである。幕藩体制の権威と権力とでは、西洋の凄まじい科学変革の流れに対応できない。日本と西欧の格差がますます開いている。ペリー来航、家慶将軍の死、ここを契機にして、御三家だ、譜代だ、外様だ、公卿という枠組みの政治でなく、国家統一を計るべきだ。世界にはばたけるような、あたらしい国家を創る必要がある」

第11章 ペリー艦隊の来航

集まった意見は700通を超えました。正弘はそのすべてに目を通しました。何の定見もなく意味不明なものも多かったようですが、

「長い目で見れば、武士だけでなく、農民・町人もふくめた『自由な多事論争』は、国家の将来への財産になるだろう」

と正弘は信じていました。

結果、砲術家・高島秋帆の「今戦っても絶対負ける。それよりも開国して交易し、国を豊かにしてから軍備を充実させるのがよい」という意見と、関白・鷹司正通の「アメリカの書簡は慇懃にして誠意がある。拒絶するべきではない」という意見を採用し、「1年後のペリー再来航で開国する。しかし、交易は数年先にする」という戦略をとります。

これは、アヘン戦争に敗れて植民地化された清のこともよく勉強したうえで下した結論でした。しかし、攘夷派の水戸・徳川斉昭は、「ペリーに蹂躙されて開国した」と声高に批判して若者たちの攘夷熱を煽っていきます。やがてそれが倒幕思想へと繋がることになります。

開国・富国・強兵

阿部正弘は、諸外国の状況も冷静に判断したうえで、開国の選択をとります。それは決して外国からの圧力に屈して無条件に開国したわけではありませんでした。開国し、交易により国を豊かにしてから、軍備を増強する。そのようなグランドデザインをしっかり描いていました。

世界一流の国家になるためには、「挙国一致」で、「統一国家」でなければならない。正弘は徳川家独占は段階的に排していく方向にむいた。(中略)近い将来はイギリスのように、諸侯から民衆まで広く方策をもとめる公議政体の構想までも、正弘は視野に入っていた。それが国家全体の力になる、と正弘は信じて疑わなかった。

第17章 安政維新

通商条約を結ぶにあたって、つよい一国と一対一で関係を結ぶと植民地化されてしまう、西洋5カ国(英・仏・米・露・蘭)と同時に同じ内容の修好通商条約を結び、植民地化を防ぐことが何よりも大事だと、自ら抜擢した5人の優秀な外交奉行に命じました。

5人の外国奉行がとてつもない力量を発揮し、ほぼ同じ内容で通商条約を成立させた。アジアのなかで唯一血を流さず、自国のペースで開国して通商を結び、植民地支配を防ぎ、日本国を救ったのだ。そして、かれらは近代化への道筋をつくった。阿部正弘の人材抜擢の著しい功績だった。

第17章 安政維新

まとめ

本書から感じる著者のつよい思いとして、「尊王攘夷論が今なお美化されているが、それは正しい歴史認識だろうか」ということがあります。

私も最近になってようやく感じるようになったのですが、薩長による倒幕、新政府樹立がやたら美化されているのは「勝者の歴史」なのではないでしょうか。

宰相の阿部正弘は、ペリー来航の外圧を利用して、おもいきって開国と通商に舵を切った。正弘のブレーンたちは、それまでに洋学で西洋の政治経済を研究していた。西洋の発展は、自由貿易主義による国富であり、資本主義による近代化である、と知っていたのだ。
資本主義とはなにか。「職業の選択の自由=人の移動」である。西欧では農民を領内に縛りつける封建、貴族制度の基本が崩れている。

第17章 安政維新

半藤一利・出口治明さんの『明治維新とは何だったのか』にも、明治維新の一番の功労者は、グランドデザインを描いた阿部正弘だ、と書かれています。

日本が西欧の植民地とならず、独立を保ちつつ近代化へ進むことができた功労者である阿部正弘について、学校でももっと詳しく教えてもいいんじゃないかと思いました。

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