「感染症は人にくっついて移動する」
2009年の新型インフルエンザパンデミックのときに、仙台副市長であり検疫官経験者の医師・岩崎恵美子はこれまでの経験を生かして独自の対策案を作成しました。
当時インフルエンザが疑われる患者は別に集めて発熱外来として診察を行うというのが国の行動計画だったのですが、仙台方式では、まずはかかりつけに行ってもらい、軽症者は自宅療養、重症者は指定医療機関へ搬送、という方針にしたそうです。
近くで患者が発生した場合、発熱外来を設定すると感染を心配した患者が殺到し混乱することが予測されるため、「軽症であれば、かかりつけの医療機関に診てもらい、早く治療して自宅待機してもらったほうが感染拡大防止になる」という考えでした。
厚生労働省はその後、発熱外来の設置を取りやめ、仙台方式に切り替えたそうです。
この新型インフルエンザの流行当時は、私が働いていたところでは患者さんは発生しなかったし、今回のCOVID-19ほど流行しなかったと思うので、あまり身近に感じることがありませんでした。
今回、世界中でCOVID-19が流行し、感染予防対策について日々考えるようになったので、10年前に出版されたこちらの本を読んでみました。
検疫官・岩崎恵美子さんの人生
大学卒業後、大学病院の耳鼻科に入局した岩崎恵美子。早いうちに同じ大学の脳外科医と結婚し、出産。夫のアメリカ留学のため渡米し、アメリカで子育てをします。30歳になった頃、自分の人生はこのままでいいのかと悩んでいる時期に、1人のアメリカ人医師と人生のモチベーションは何か、医師の仕事とは何か?ということについて語り合い、目を開かれた思いがします。
「私は自分の人生を二十五年周期に区切っている。生まれてから二十五年は自分のための二十五年だった。二十六歳からの二十五年間は、家族のために使う二十五年だと思って今日まで生きてきた。医師としての仕事は、自分のためでもあるけれど、家族を養っていくためのものでもある。でも、五十歳からの二十五年間は、医師の仕事をそのまま社会に役立てることができると思っている。五十を過ぎてからの二十五年は、私は社会のために使いたいと思っているんだ」
検疫官
この男性医師は、実際に50歳で病院を辞め、中南米で医療活動をするために旅立ちました。この彼に刺激を受けた岩崎恵美子は、子供を連れて日本に帰国。耳鼻科医師として復帰し、地域医療のために毎日忙しく働きます。
私はこのシーンを読んで、以前読んだいとうせいこうさんの『「国境なき医師団」を見に行く』を思い出しました。ここに出てくる64歳のカールというドイツ人スタッフは、いとうさんに今回が初めての参加だと話します。
「60歳を超える頃から、ずっとMSFに参加したかった。そろそろ誰かの役にたつ頃だと思ったんですよ。そして時が満ちた。私はここにいる」
「国境なき医師団」を見に行く
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海外での医療活動
岩崎恵美子は、子供たちも大学へ進学し育児がひと段落したところで、医療が満足にないような途上国で医療活動をしたい、と考え、インドでの医療プロジェクトに参加します。
貧富の差、日本では見ないような感染症との戦いを経験し、熱帯医学に興味を持つようになります。タイ、パラグアイでの医療活動を経験し、成田空港での検疫の仕事を任されます。最初は検疫所って何をするところ?というレベルの岩崎恵美子でしたが、感染症を予防する、輸入感染症を持ち込ませないようにする、検疫所の仕事に魅了されていきます。
さらに、アフリカ・ウガンダでエボラ出血熱の現場を経験したことも、岩崎の人生に大きな影響を与えました。ウガンダでは、命を救いたくても救えない、つらい経験もたくさんあったと思うし、マラリアにかかって高熱に苦しんだりもしました。
「災害現場における対応では、ゾーニングの実施をする必要があります。災害が発生した現場では、被災者や病院を危険な物質から遠ざけるために、事故現場の周囲に『ホットゾーン』と〝最危険地帯〟を設定して、人の自由な行き来を禁止しなければいけません。さらに、ホットゾーンの周囲に『ウォームゾーン』と〝準危険地帯〟を設定して、基本的な救命救急処置を優先しながらも、風上に設置した出入口に検問を置いた『除染ゾーン』に移ってから、その後で医療機関に搬送されて、治療を受けることになります。トリアージ(患者の識別)は各ゾーンで行うのはもちろんのことです」
検疫官
2002年FIFAワールドカップでの感染症対策
病気も乗り越え、2002年日本で開催されたサッカーワールドカップの感染症対策を行うことになります。世界中からサッカーファンが集まる大きなイベント。輸入感染症が流行したり、生物テロ、化学テロが起きてしまったらどうするか。岩崎は対策プロジェクトの中心となり活躍します。そしてワールカップは無事に終了したのでした。
まとめ
この本を読むまで私は岩崎さんのことを知りませんでしたが、同じ女性医師として、結婚や出産のタイミング、仕事と家庭とのバランスに悩み、どうしてもやりたいことをあきらめたくないと単身海外へ旅立つ、など、共感でき尊敬できる場面も多かったです。
50歳を過ぎてから熱帯医学を志し、勉強して現場に飛び込んだ、というのも勇気づけられました。
今回のクラスター対策班の先生方もそうですが、世界の感染症の現場を経験した先生方が、専門知識を持って今の日本を新興感染症の大流行から守ってくれているのだと思います。
見えない相手と戦う感染症対策。経験と緻密な戦略が重要な分野だと思います。今現在もCOVID-19を抑えようと不眠不休で働いてくれている専門家の先生方がいます。専門知識の乏しい私でも、少しでもキャッチアップできるように勉強していきたいと思っています。
ノンフィクション書評サイトHONZで紹介されていて読みました。感染症に関する本が他にもたくさん紹介されていて、どれもおもしろそうでした。
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