【レビュー】『現実を解きほぐすための哲学』小手川正二郎

國學院大学准教授の小手川正二郎さんの本。

性差、人種、親子、難民、動物の命。社会の分断を生む5つのテーマについて考えるヒントを与えてくれます。

Hibino’s Point
  • 一人ひとりが自分の頭で考え、行動を変えることで社会が変わる
  • 他人の経験を通して、自分の経験を見つめ直す
  • ちょっとした違和感や嫌悪感は、自分自身について考えるチャンス
目次

自分の頭で考える

著者は「はじめに」で、私たち一人ひとりが考え、その人が変わることで社会が変わると書いています。哲学は、自分の頭で考え、思考や対話を通じて一人ひとりが変わることを可能にします。その意味で、哲学は「現実的な」学問だと言えます。

私たちが本当に自分自身を通じて考え、変わるためには、自分の経験に立ち戻って、自分が生きている現実に即して考えていかなければならない。私が目指している哲学の真のあり方とは、まさにこうした思考を可能にするものだ。

はじめに

この本には、それぞれの問いに対する明確な答えが示されてはいません。私たち一人ひとりが自分の頭で考え、行動するしかないのです。そのためのヒントがこの本には詰まっていると感じました。

社会の分断を生む5つのテーマ

性差

男女を平等に扱うことは当然のことだとみんな思っているはず。なのに、性差別がなくならないのはなぜか。

フェミニズムは、決して女性を優遇するためのものでも、男性を逆差別するものでもありません。この章を読んで一番印象的だったのは、フェミニズムについて考える際に重要なのは、自分の立場の「特権」に気づくことだ、という著者の主張です。

先進国に生まれた、健康な体で生まれた、高校大学に行かせてもらえる家庭に生まれた、などです。普段自分は特権を与えられていると意識して生活してはいない私ですが、少し考えるだけでこんなふうにいくつも出てきます。

特権をもつ人は、その特権をもたない人がつねに気にしなくてはならないことを気にする必要がない。特権をもつ人は、「それは気にしすぎだよ」等と口をはさんで特権をもたない人から見える現実を一方的に否定したり、個人の主観的な見方にすぎないと断定したりできる立場に立っている。

第1章 性差

自分に与えられている特権を自覚し、それが与えられていない人を想像することで、何かが少しずつ変わるのではないでしょうか。

人種

日本に人種差別はないと言えるのか。

日本に住んでいると、日本人は圧倒的マジョリティなので、人種差別を意識することはないかもしれません。海外に留学した人が、海外に住んで初めて自分がマイノリティの側に立った、という話もよく聞きます。

日本にいて日本人以外の容姿をした人を見て「あ、外国人」と思うことは、誰にでもあると思います。「〇〇人だから」と言うのはすでに個人ではなく人種として見ていることになります。ここで「人種に捉われてはいけない」と言うだけでは、思考停止になってしまう。自分自身の奥底にある人種差別的な見方から目を逸らさず、相手のことを想像し、理解する必要があります。

私たちが、本当の意味で、人種差別に向き合おうとするなら、国内で日々人種化されている人々の経験に耳を傾け、自分たちが経験し得ない現実を理解する必要がある。そうして、自分が自然だと思っている日々の見方や反応に疑問をもって、それを「脱自然化」しなければならない。つまり、自分には自然に現れてくるように見える相手の人種やそれに伴う現実を、それが置かれた歴史的背景や文化的文脈との関わりから見つめ直す必要があるのだ。

第2章 人種

親子

子供は親の「私物」か。生殖医療により生まれた子供や養子に「出自を知る権利」はあるか。

子供はまだ自分で自分のことを決められないから、親が代わりに決めてあげないといけない。子供の利益を最大限に守ってあげられる親ばかりならいいけど、虐待する親とか、養育環境が不適切な親もいます。親自身は、決していじめようと思ってやっているわけではなく、「子供のため」と思っているんだけど、その方向が大きくずれてしまっているのだと思います。

また、出生前診断の結果により命の選択をするということについても考えています。本書にも書かれていましたが、出生前に子供に病気があるかどうかを知りたいということは、健康な子供を望む、ということであり、その検査ではわからない病気を持って生まれたり、出生時や出生後に不慮の事故や病気で障害が残った場合はどうするのか、という問題もあります。

子供は誰のものか、子供の安全に暮らす権利はどうやって守っていけばいいのか、ということを考えさせられました。

難民

日本での難民受け入れに対して、私たち一人ひとりはいかなる責任を負うべきか。

この章では、難民受け入れというテーマを通して、私たちがこのような問題を考えるときに「自分にどのような責任があるか」という視点の重要性が取り上げられています。

私たちは、「仕方がない」「関係ない」「余裕がない」「国や他の人がやってくれるはず」と言って責任から目をそらしがちだと著者は言っています。

一方、この責任から逃げずに正面から向き合い、難民を救った日本人が杉原千畝です。杉原千畝は、1940年、リトアニアの領事として、外務省の訓令に反して多くのユダヤ難民にビザを発給し、その命を救いました。

果たして自分はそのような決断ができるだろうか。

このような場面に直面したとき、自分は一体何を一番大事と考えているのか、が問われます。

正義とは何か、という問いに通じると思います。

決して傍観者ではなく、自分自身のこととして想像し行動することを、哲学という学問は可能にするのかなと感じました。

動物の命

食用の動物とペットの違いは何か。

この章では、肉食批判者であるピーター・シンガーの主張の矛盾点を明らかにしつつ、人は、牛や馬は食べるのに犬猫や人間を食べないのはなぜか、ということについて再考しています。

シンガーは、「動物の能力や利益に対する平等な配慮」を根拠に、動物を道具としてしか扱わないのは種に対する差別だ、と主張します。しかし、著者はこの主張には矛盾があり、到底納得できないと言っています。

ですがこのような価値観の違いに思いを馳せ、お互いの立場を想像することで人はより深く理解しあえる、とも書いています。

動物の肉を食べる人も食べない人もーーシンガーの依拠するような生物学的事実や一般的原理とは異なるーー動物に対する何がしかの見方を共有しており、そこから出発してのみ「異なる価値観」をもつ人々が対話することが可能になるということだ。

第5章 動物の命

ここで紹介されていた、ジョージ・オーウェルの『スペイン戦争回顧』『絞首刑』という、「生きている」人間についての評論を読んでみたいと思いました。

まとめ

本書で取り上げられている5つのテーマについて、それぞれの問題が生まれた背景を知り、それに対する自分なりの考えを見つめ直すいい機会になりました。

著者自身が、実際に経験したことから自分の中にも男女の差別やパターナリズムが潜んでいることに気付き、その根本に何があるのかを見つめ直した、というエピソードが出てきます。こういうことはなかなか公には書きづらい内容だと思うのですが、そこに著者の正直さを感じたし、哲学者の思索のきっかけが垣間見れて興味深かったです。

私自身も、ここに取り上げられているようなテーマについて読んだり聞いたりしたときに、ちょっとした違和感や嫌悪感を感じることがあります。相手に対しても、自分自身に対しても。

それをスルーしたり、気づかないフリをするのではなく、その違和感の原因はなんなのか、自分の意識の奥底に何があるのか、考えるいい機会と思えばいいんだ、と気づかされました。

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