【レビュー】『沈没家族』加納土

1990年代、シングルマザーの加納穂子(ほこ)さんは、生後8か月の土(つち)くんを連れて東中野のアパートに二人で暮らすことになりました。穂子さんは、昼間は働き、夜は写真の専門学校に通うため、土くんを見てもらえる「保育人」を募集します。手作りのチラシを見たり、知り合いの知り合いのような若者たちが集まり、シフトを組んで土くんを一緒に育ててくれることに。やがてみんなでアパートを借り切って「沈没アパート」での共同生活が始まります。

本書は、そんなたくさんの大人に囲まれて育った土くん本人が、自分を育ててくれた「沈没家族」との生活を振り返る一冊です。

『沈没家族』はもともと土くんが大学の卒業制作で作った映像がもとになり、映画として再構成されました。

本書は、その映画づくりの経験をもとに、保育人たちに会いなおして、「そこで育った自分」を再確認するために書かれたものです。

Hibino’s Point
  • 「子供が安全に健やかに育つ」ための環境って何だろう?
  • 「家族」って何だろう?
  • たくさんの大人に見守られ、愛情をもらって育つことの大切さ
目次

「沈没家族」の誕生

「沈没家族」とは、穂子さんのアパートに出入りして土くんのお世話をしていたメンバーたちで作ったフリーペーパーの名前です。当時、ある政治家がこのようなチラシを配っていたそうです。

いまの日本は家族の絆が薄くなっている。離婚する家庭も増えている。男は外に働きに出て、女は家を守るという伝統的な価値観がなくなれば日本は沈没していく。

このチラシを見たメンバーたちは、怒ったり笑ったりしながら、それなら自分たちは「沈没家族」だね、と盛り上がったそうです。そこからフリーペーパーの名前が「沈没家族」になりました。

フリーペーパーには、保育人たちのインタビューや、家族制度、婚外子差別に関するイベントの案内なども載っていたそうです。宗教団体や政治グループのように、何かひとつの理想や思想のもとに集まった人たちではなく、それぞれが社会に対する「何かおかしいんじゃないか」という思いを自由に書いていたようです。

知り合いの知り合いという感じのゆるいつながりの大人たちが、アパートにゆるく集まり、でもそれぞれが土くんを「育てる」ことについて悩み、喜び、話し合っていた、ということに単純に驚いたし、こういう生活が成り立っていくんだということが信じられないような気持ちでした。

「沈没家族」で育つということ

私は小児科医なので、子供を安全に育てる、という目線で物事をどうしても見てしまうのですが、この「沈没家族」というスタイルは、子供を育てる環境としてどうなのか?

本来は親が責任を持って安全に子供を養育しなければならないと思います。ですが、この「沈没家族」は、母親の穂子さんが責任を持って保育人に保育を依頼している、というよりは、母親もほとんど他の保育人と区別なく、たくさんの大人でみんなで育てている、という印象でした。

知り合いの知り合いみたいな、要するに「他人」が入れ替わり立ち替わりやってきて、お世話をする。母親が酔っ払って電車を乗り過ごして帰ってこないこともある。さらに途中からもう1組の母子も一緒に住んで、その母がアパートのトイレで赤ちゃんを出産した、という記述を見たときはめまいがしました。今私が病院でこの家庭と関わることがあったら、すぐに市役所に連絡して養育環境を確認してください、と言うと思います。

だけど読んでいてさらに頭が混乱するのは、そんな環境で育った土くんが、たくさんの大人にたくさんの愛情をもらって、とてもしっかりした大人に育っている、ということです。土くんが書いたこの本を読むとそれがすごく伝わってきます。

子供にとって適切な養育環境って何だろう?

穂子さんが、他人に助けを求めて一緒に育児をする、という選択肢を取らなかったら。母子二人で閉塞感のある毎日、経済的にも精神的にも行き詰まってどうにもならなくなっていたかもしれない。

子供にとって適切な養育環境が何なのか、これまでの自分の考えがひっくり返されるような混乱を、読んでいる間ずっと感じていました。

いいのか悪いのか、正しいのか間違っているのか。マルかバツかではない、答えは出ない。子育てって結局そういうものなんだろうな。

家族って何だろう

土くんのお世話をしに来た保育人たちは、「保育ノート」にその時の思いをつづっています。土くんとこんなことをして遊んだ、土くんがこんなことで怒って暴れたんだけど、こういう時はきちんと怒った方がいいのか?、自分はなぜここに保育をしに来ているのか?・・・

母親も保育人たちも、穂子さんを母親として特別視することはあまりしていなかったようです。ですが、土くんにとっては、母親の穂子さんは他の保育人とは違う。ママ、ママといって会いたがっていた、という保育ノートの記述を見ると、子供にとって親はやっぱり代わりのいない特別な存在なんだなということを再認識しました。

だけど、保育ノートに書かれていたことを見ると、親の愛情とは違うのかもしれないけど、みんな土くんを大切に思い、どうやったらすくすく育ってくれるだろうか、と頭を悩ませているのがよく分かります。

保育人としてやってくるのは、別にボランティア精神に溢れた人や、子供が大好きな人ばかりではありませんでした。他に居場所がない人、社会から何となく浮いている人、子供はむしろちょっと苦手な人もいました。

保育人の一人、ぺぺさんが『現代思想』に書いた文章が印象的でした。

子供がこんなにかわいいといういうことは驚きであった。これでは、万一自分に子供などできようものなら、いやな仕事でも「子供のためだ!」などと言いながら続けまくってしまうかもしれない。そんなことに気付かせてくれたこのプロジェクトには感謝してもしきれないものがある。ああ、世の中ってこうして回っているのか。世界の秘密の一端を垣間見た。

第7章 保育人たち(土=子どもから大人へ)

そして、そんな「沈没家族」に育てられた土くん自身も、自分が育ってきた環境を大人になってから振り返り、こう書いています。

親でも学校の先生でもない大人が、家にいてくれた。愛をもって接してくれた、それは、やっぱりとても嬉しかった。たまたまたまごさんが家にいてくれて、僕はとても救われた。それは血縁に関係なく、自分一人ではまだ生きていけないときに近くにいてくれたからだ。家の中に誰かいるというのは、僕にとってはそれだけ大きかった。

第7章 保育人たち(土=子どもから大人へ)

子どもは生まれる家を選べない。だからデフォルトで子どもは可哀想な存在なのだと思う。親の経済状況や職業、居住地、どんなご飯をつくってくれるかなど、子どもは自分で決定できない。不幸せだ。だから、親や近くにいる大人に従うしかない。
それでも僕には、沈没家族で育って楽しかったという思い出がある。そしていま、少なくとも生き延びていられることに関しては、沈没家族があったからだと思う。ラッキーだ。

第9章 人間解放(土=これから)

家族の概念が大きく拡がる気がします。知り合いの人、近所の人、市役所の人、保育園や幼稚園の先生・・・通りすがりの人も含めてたくさんの大人たちが一人の子供を見守っている。そんな社会はそれ自体が大きな家族なのかなと感じました。

まとめ

子供を育てるということについて、頭が混乱しながらも、いろんなことを考えさせられました。

一番は、母親である穂子さんに、生活は大変だけど土くんと一緒に暮らしたいんだ、という強い思いがあって、そのために手を貸して欲しいとヘルプを出せたこと、そして穂子さんの人間性が大きかったんだろうと思うのですが、そこに集まった若者たちがそれぞれに土くんのことを考えて愛情を持って保育してくれたこと、があって沈没家族は成り立ったのかなと思います。

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