2011年3月の福島第一原発事故が発生した時、現場で一番に対応したのは、それまで原子力災害に対応したことも訓練したこともほとんどない医師たちでした。それでも目の前に突きつけられた患者さんをどうにかしないとという責任感、自分たち素人がなんで対応しないといけないんだという葛藤、自分たちは日本から見捨てられるんじゃないかという絶望感、、、いろいろな思いがリアルに伝わってきました。
本書は、NHKのETVで特集された『誰が命を救うのか』を書籍化したものです。
今まで原発事故現場の第一線で対応していた医療者たちの言葉を聞いたことがなかったので、初めて知ることだらけで、とても心が揺さぶられる一冊でした。
- 震災とそれに続く原発事故に突然対応しなければならなくなった医療者たちの苦悩
- 病院からの避難は、きちんと準備してから行わないと逆に多くの命を奪う悲劇を生む
- 放射線もウイルスも、正しい知識を持って正しく恐れることが大事
DMATの役割
災害が起きたとき、すぐに救命のために動き出すDMATというチームがあります。DMATは事故や災害医療のスペシャリストで、トリアージ(治療を優先する人を選別する)や治療、搬送などの支援を訓練された組織です。
東日本大震災の時も、DMATが派遣されました。しかし、現地の状況は、普段訓練で想定していた、瓦礫の下から被災者を救出したり、怪我人をスクリーニングして搬送する、といったものとは違っていました。
避難してくる人たちの放射能汚染を調べるスクリーニングを行うよう依頼されたというのです。原子力災害については一切想定していなくて、訓練も受けていなかった。仕方ないことですが、そのことがせっかく集まったDMATが十分活躍できない結果となってしまいました。
また、DMATは災害発生から72時間で助かる命をできるだけ救うというミッションがあるので、その期間を過ぎたら一度撤収してしまいました。その時見捨てられた感じがして、残された現地の医師たちはとても辛かった、と書かれていました。
病院避難をめぐる選択
原発から半径20km圏内の住民に避難指示が出されて、みんなが避難する中、原発近くにある病院に入院していた患者さんの移動も進められました。そのことは当時もニュースで聞いたことはあっただろうし、病院の患者さんたちも当然避難しないといけないんだろうな、くらいにしか思っていませんでした。でも、この本を読んで、それが想像以上に悲惨な結果をもたらしていたことを初めて知りました。
行き先も決まっていないのに、医療従事者も同乗していないのに、とりあえず急いでバスに乗せられた患者さんたち。原発から24km離れた保健所でそのバスを受け入れた医師たちはバスの中を見て言葉を失います。
座席から転げ落ちて頭から血を流している人、点滴ボトルが床に転がって血液が逆流している人、認知症があり座席の下に潜り込んでなかなか出て来られない人・・・バスの中ですでに亡くなっている方もいたそうです。
原発から半径20km圏内にあった病院や施設からの避難によって発生した死亡者は少なくとも60名。とくに、避難前の場所から別の病院への移送完了までの間に死亡した人が合計58名とのことです。こんな悲惨な状況だったとは知りませんでした。避難自体は急がないといけないこととは言え、きちんとした準備なしでの移送がこんなにも多くの命を奪うという恐ろしさを初めて知りました。
立ち上がる医師たち
原発近くの病院として、地震災害への対応に加えて原子力災害への対応を急に任されることになったのが福島県立医大病院でした。それまで原子力災害対応の訓練もしたことがなかった。そんな中、原発で爆発事故が起こり、放射線で汚染された怪我人が次々と運ばれてきます。いきなり責任者として対応しないといけなくなった長谷川医師は、目の前に患者さんが来るから対応しないといけないんだけど、放射能被曝の知識も経験もない中、いろんな思いがよぎります。
なんで自分たちに押し付けられないといけないのか、知識も自信もない中やっているがこれで合っているのか、いつになったら専門家が来て代わってくれるんだろう、もしかしたら来てくれないのか、福島は日本から見捨てられるのか・・・
とてもリアルで正直な感情だと思いました。そこへ、広島大学や長崎大学から、被爆医療のスペシャリストたちが応援に駆けつけてくれます。このときの福島県立医大のスタッフたちの安心感、喜びはどれほどものだっただろうと思います。
長崎大学の熊谷先生はそのときの様子をこう話しています。
「僕らが部屋に入ってきたところで、長谷川先生はもう涙を流しておられました。”やっと来てくれたのか”という思いだったんだろうと思います。そこで僕たちは、言葉もなく抱き合いました。長谷川先生は、もう極限状態におられたと思います。震災発生から4日間、ほとんど家にも帰っておられず、状況もよくわからないというなかでのことです。放射線についての知識はもちろんのこと、このあと事態がどう進展していくのかもわからないなかで、否応なく患者を受け入れてきておられたわけですから、当然のことだと思います」
第7章 立ち上がる医師たち
やっと来てくれた、これで交代できる、そう安堵する福島県立医大のスタッフたちに熊谷先生は「これで終わりではない、今後もっと大きな爆発事故が起きる最悪のシナリオもあり得る、自分たちはアドバイスはできるけど、ここでこの先医療を続けていくのはあなたたちなんだ」と伝えます。
どん底に突き落とされたような福島県立医大のスタッフたちは、最悪のシナリオに向けてシミュレーションや訓練を繰り返します。そんななか、胸痛を訴える原発作業員がいるので搬送が必要、という連絡が入ります。広島大学から支援に来ている谷川先生が自衛隊のヘリで現場に迎えに行きます。福島県立医大へ戻るヘリのなかで線量計が安全な数値であることを確認した谷川先生は、患者の状況をしっかり把握するために防護マスクを外します。
これから運ばれてくる患者さんは、重度の放射性物質汚染をしているんじゃないか・・・不安いっぱいで待っていた福島県立医大のスタッフたちが見たのは、防護マスクを外して患者さんと一緒に降りてきた谷川医師の姿でした。
福島県立医大の長谷川先生はこのときの様子をこう振り返ります。
「受け入れサイドの僕らは、自衛隊員も含めて、完全装備ですよ。でも、谷川先生の様子を見て、”ああ、いまの状況は、マスクがなくても、少なくとも急性の影響が体に及ぼされるようなものじゃないんだな”というのを、身をもって知るわけですよ、理屈ではなくて」
第7章 立ち上がる医師たち
まとめ
東日本大震災とそれに続く福島原発事故。その裏に、こうして苦しみながらも必死に患者さんを救おうとした医師たちがいたということを初めて知りました。
放射能汚染も、ウイルス感染症も、目に見えないから怖い、という共通点があると思います。放射線を浴びているのかいないのか、ウイルスがいるのかいないのか、目に見えないし、わからないからよけい怖くなる。どれくらい恐れたらいいのかわからないからよけい恐怖に陥ってパニックになる。そんな共通点があるのではないでしょうか。
やはり正しい知識を持って正しく恐れることが重要だとも、この本を読んで感じました。今だからこそ多くの人に読んでもらいたい本だと思いました。
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