スポーツ、音楽、将棋など、世界的プレイヤーを目指すにはできるだけ小さいうちから専門的なエリート教育を行うほうがよい、というイメージがあります。果たしてそれは事実なのでしょうか?
本書では、早期から専門特化するよりも、幅広く始めて、あちこちに寄り道をしながら考え、多様な視点を持つ「レンジ(幅)」のある人間の方に強みがあると書かれています。
早期教育に意味はあるか
スポーツ選手を対象にした調査では、エリート選手は最初からその種目に特化した意識的な練習をしているのではなく、最初はいろいろなスポーツを経験し、その中から専門とするスポーツを決めていることがわかりました。
確かにチェスやゴルフなどでは、できるだけ早くその種目に特化して、狭い範囲を大量に繰り返し練習をすることで早く能力が発達する天才プレイヤーが育ちます。しかし、それは、同じパターンが繰り返し現れ、非常に正確なフィードバックがすぐに提供される「親切な」学習環境においてのみ当てはまることです。
多くの学習環境は、そのように親切なものではなく、明確なルールのない中で曖昧な問題を考えなくてはならない「意地悪な」ものです。そんな「意地悪な」世界では、「幅(レンジ)」のある人の方が、成功を得ていると著者は主張しています。
AIは専門に特化し、人間は情報を統合する
AIは繰り返すパターンを大量に学ぶことは人間よりもずっと得意です。チェスでいうところの戦術はAIに任せて、人間はもっと大きなところから全体を見渡し戦略を立てる場面で力を発揮することができます。
医者の仕事でも、救急外来で患者さんが来た直後に、患者さんに何が起こっているかを自動的に知ることはできません。これまでの経験とは矛盾するようなこともあります。自分の経験と照らし合わせながらも、得られる情報を総合して診断し、治療方針を考える必要があります。
人間の最大の強みは、狭い範囲への専門特化とは正反対のものだ。幅広く情報や知識を統合することこそが、人間の強みだーー。
第1章 早期教育に意味はあるか
思考の幅(レンジ)
時代が進むにつれてIQテストの正解数が伸びていくという「フリン効果」があることが知られています。とくに伸びているのは、二つのものを比べてどこが似ているかを指摘する「類似性」のテストだそうです。
また、言葉の抽象度が高いほど、言語理解の度合いが高いことがわかりました。抽象的な言葉とは、直接に感知できない概念を表す言葉(「法律」「誓い」「市民」など)です。(これに対して直接に感知できる言葉は「めんどり」「食べる」など)
私がおもしろいなと思ったのは、近代化されていない辺境の村に住む人は、抽象的な概念をどうしても理解することができなかったという研究です。図形をグループ分けする問題で、ある26歳女性は、直線で描かれた四角は「地図」であり、点線で描かれた四角は「時計」だから、どうして一緒のグループにできるのかわからないと言いました。別の24歳女性は、黒い円は「コイン」で白い円は「月」だから一緒にはできない、と言い張ったそうです。近代化されていない社会に暮らす人々は、自分たちの生活の具体的な部分から離れた概念をベースに物事を考えるということができなかったのです。
現代的なものに近づけば近づくほど、抽象的な思考が強化されます。つまり、直接の経験に頼るのではなく、分類のしくみを通じて現実を理解し、何層もの抽象的な概念を使って、情報同士の関係を理解できるようになるのです。概念に基づいて分類するしくみは、知識を結ぶ足場となり、知識を手に入れやすくし、知識を柔軟にします。これは、思考の幅(レンジ)とも言えます。
思考の幅があることによって、遠く離れた領域やアイデアが結びつきます。思考の幅があることで、類似性を予測したり推定することができます。
この「経験なしで学ぶ」こと、言い換えると、新しいアイデア同士を結びつけ、領域を超えて考えることができる概念的な論理能力が、急速に変化する「意地悪な」世界で求められている。辺境の村人は、直接経験したことのない問題を前にすると、全く手も足も出なかった。私たちはそれでは済まされない。これからは、一つの問題や領域の概念的な知識を、全く別の問題や領域に適用できるような人が、大きな見返りを手にするようになるだろう。
第2章 「意地悪な世界」で不足する思考力
望ましい困難
多くのヒントを与えて短期的な成績を良くしようとするのではなく、あえて頭を悩ますほうが長期的に見ると効果的だといわれています。そんな「望ましい困難」の一つに「生成効果」が知られています。自分一人で答えを出そう(生成しよう)と奮闘することは、たとえ出した答えが間違っていても、その後の学びは強化される、というものです。
また、同じことを繰り返し行って短期間に成績を上げようとするより、さまざまなパターンの問題を、間隔を開けてテストすることで知識が定着し、応用がきくようになると言います。
同じことを、同じプロセスを用いて繰り返し練習することを心理学者は「ブロック練習」と呼ぶ、ブロック練習をすれば、その時の成績はとてもよくなる。しかし、知識を柔軟にするためには、さまざまな状況で学習しなければならない。その手法は「多様性学習」と呼べれ、研究者は「インターリーブ」あるいは「インターリービング」と呼ぶ。
第4章 早く学ぶか、ゆっくり学ぶか
インターリービングにより、帰納的推論の能力が高まることがわかっている。さまざまな例が混ざった状態で示された時、生徒たちは抽象的な一般化の方法を学び、それによって、今までに出会ったことがない状況に対して、学んだことを応用できるようになる。
試して学ぶ
短期的な効果を求めるのではなく、長期的に応用のきく学びをした方がよいことがわかりました。では、何について学ぶべきでしょうか。
著者は、「自分は本当は何になりたいのか」に鉄壁の答えを出そうとするのではなく、自分自身の研究者となって、小さな問いを立ててそれを一つずつ実験してみるくらいがよい、と書いています。
「いろいろな自分がある中で、そのうちのどれを今開拓してみるべきか。どうすれば開拓できるのか」そう考えて、いろいろな自分と戯れてみよう、と。
「とにかくやってみる」(byゴセイレッド)が座右の銘の私としては、すごく納得できました。
幅の広い教育
微生物学と免疫学の分野でスター的存在のカサデバール博士は、ジョンズ・ホプキンス大学の公衆衛生大学院に着任した際、専門特化を急ぐのではなく、幅の広い教育を行おうとしました。彼はNEJM(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン)編集長とのパネルディスカッションで、大学教育についてこう言っています。
「非常に専門的な知識を提供する科目は本当に必要なのか。とても細かく、専門的で、難解で、数週間経ったら完全に忘れられてしまうような知識を大量に詰め込むような科目だ。とくに現代は、スマートフォンの中にすべての知識が入っている。学生たちは、人間についてのあらゆる知識が詰まった機械を持っているのに、その知識をどうやって統合すればいいのか、全くわかっていない。私たちは思考や論理の教育ができていない」
第12章 意識してアマチュアになる
専門性が重視されがちな医学教育の現場で、学生たちにはまず思考や論理の教育を行うべき、というのは少し意外かもしれませんが、確かに専門知識はいつからでも身につけられるし、調べればすぐにわかることです。日本の医学部で一般教養や思考・論理の勉強がどれほど重視されているだろう、と思いました。
まとめ
幼児期に専門特化してエリート教育を受けるより、幅広くいろいろな経験をした方が、その後の人生のさまざまな場面で応用がきき、クリエイティブな、AIでは置き換えられない、戦略を立てられる人間になる、というのが本書のテーマでした。
『「学力」の経済学』という本の著者である中室牧子先生が解説で書いているように、質の高い幼児教育は非認知能力に対して長期にわたるプラスの影響を及ぼすことが明らかになっています。早く始めること自体が悪いのではなく、早期に専門特化することなくいろいろなことに触れて引き出しを多くすることが大事なのかなと思いました。
私は働き始めてから結婚、出産などのためにキャリアの上で回り道をしてしまったという思いがありますが、その間に経験したことや学んだことは決して無駄ではない、と言ってもらえたような気がしました。
コメント