飲茶さんという方が、哲学について分かりやすく書かれた本がいくつか出ています。前から気になっていたのですが、ようやく読むことができました。
『史上最強の哲学入門』は、哲学初心者向けに西洋の哲学者を紹介した本です。
しょっぱなから、プロレスの選手入場的なテンションに一気に引き込まれました。
せっかく書く機会を得たのだから、今までにない「史上最強の哲学入門書」を目指して書くべきではないか!では、どうすればいい。今までの哲学入門書には何が足りなかったのだろうか?
まえがき
結論を先に言うなら、「バキ」分が足りなかったのです。(中略)
「史上最強の男を見たいか!」
「おおおおおおおお!!」
バキ!?刃牙!?そういえば表紙もバキ!
よくある哲学の本だと、一人ひとりの哲学者の思想を箇条書き的に紹介していくスタイルだと思うのですが、本書は、ある哲学者の思想を紹介した後、次の哲学者はこれはちょっと違うんじゃないかと考えてこんな思想を生み出した、などと、一本の流れとして書かれてあります。またそのエピソードの描き方がとてもおもしろくて、まさに史上最強です。
本書で取り上げられている哲学者とその思想、そして、それぞれの章で私が印象に残った人物のエピソードを一人ずつ紹介していきたいと思います。
第1ラウンド 真理の『真理』
「真理」を求めた12人の哲学者たち
「第1ラウンド 真理の『真理』」で紹介されている哲学者は次のとおり。哲学の世界にも、科学の発展のように流れがあるんだなということがよく分かりました。
- プロタゴラス:「相対主義」絶対的な真理なんてない!価値観なんて人それぞれさ!
- ソクラテス:「無知の知」無知だからこそ真理を知りたいと願う
- デカルト:「我思う、ゆえに我あり」どんな懐疑にも耐えられるのは「疑っている自分自身」
- ヒューム:「経験論」すべては過去の経験の組み合わせからできた複合概念
- カント:「批判哲学」真理とは人間によって規定される
- ヘーゲル:「弁証法」対立を繰り返し新しい考えを生み出す
- キルケゴール:「実存主義」自分にとっての真理を見つける
- サルトル:「自由の刑」リスクを背負ってでも自ら決断し人類を真理に向かって進展させよう
- レヴィ=ストロース:「構造主義」世界にはさまざまな文化・価値観がある
- デューイ:「プラグマティズム」で?それって結局、なんの役に立つの?
- デリダ:「脱構築」話された言葉から、各人が真理を構築する読み手中心主義
- レヴィナス:「他者論」他者との対話を続ける原動力こそが真理を求める熱い想い
デリダの「読み手中心主義」
デリダという人のことを私は本書で初めて知ったのですが、デリダが主張した「読み手中心主義」というものにすごく共感してしまいました。
デリダは、西洋文明を「音声中心主義」だとして批判しました。音声中心主義とは、話し手を大事にする文化=話し手中心主義のことです。そもそも会話というのは、「話し手」と「聞き手」がいて初めて成立します。会話とは、「聞き手が話し手の言葉を聞いて、その意図を理解すること」ですから、聞き手が話し手の意図を正確に掴み取ることが重要になってきます。では、聞き手が理解したことが本当に話し手の伝えたかったことなのか。それを確かめる術はもはやなく、「作者の意図なんか知るよしもない」ことになります。このように、デリダは、「話し手の意図」よりも「読み手の解釈」の方を大事にしましょう、という「価値観の逆転」を提案したのです。
私は、日常的に人と話をしているとき、「自分は今の会話をこう理解したのだけど、相手も同じ理解をしていると思っていいのだろうか?私だけがズレて理解していないか?」と不安になることがあります。一緒にいた別の人に後で確認してしまうこともあります。
デリダは、会話とはそういうものだからこそ「読む(解釈する)」ということを重視しましょう、と言っています。「話し手の意図」というものは、決して到達できない真理であり、想像したり解釈したりするしかないのだ、と。
第2ラウンド 国家の『真理』
「国家」について考えた6人の哲学者たち
国家とは何か。みんなを幸福にする理想の社会システムとは何か。
第2ラウンドでは、そんな国家のあり方について考えた哲学者たち6人が紹介されています。
- プラトン:「イデア論」究極の理想を知る「哲人王にオレはなる!」
- アリストテレス:「論理学」君主制、貴族制、民主制
- ホッブズ:「社会契約説」国家とは、個人の自由を放棄して手に入れる安全保障システム
- ルソー:「人民主権」国家の主権は人民である
- アダム・スミス:「神の見えざる手」資本主義経済の基礎
- マルクス:「共産主義」資本家が労働者を搾取している!
ルソーの大逆転人生
ルソーは『エミール』という子供の教育論についての本を書いています。私も少しだけ読んだことがあるのですが(いいこと書いてあるなと思ったのですが、長かったので途中で止まっています・・・)、1700年代に書かれた本が今も読み継がれているなんてすごいことです。
社会契約論といい、エミールといい、ルソーはさぞかし素晴らしい人物だったのかと思いきや、本書にはルソーの意外な一面も描かれていました。愛人の間に5人も子供を作っては次々と捨てたり、婦女子の前でお尻を出して現れたり。倒錯した性癖を持つ40代のニートだったルソーでしたが、ある論文が認められたことで一気に人生が花開きます。自分の子供もろくに育てていないのに教育論について大ヒットを飛ばすとか。
国家論に関しても、それまでの「民衆は国家に服せよ」というホッブズの社会契約論とは全く異なり、「国家とは、公共の利益を第一に考えて運営される、民衆のための機関である」という現代に通じる国家観を民衆に浸透させた功績は計り知れないほど大きい、と著者は書いています。
第3ラウンド 神様の『真理』
「神様」について考えた5人の哲学者たち
不可侵にして究極のタブーである「神様」の正体を見極めようとした哲学者がいました。
第3ラウンドでは、そんな哲学者たち5人が紹介されています。
- エピクロス:「快楽主義」自然で慎ましく、楽しく生きよう
- イエス・キリスト:「復活」汝の隣人を愛せよ、汝の敵を愛せよ
- アウグスティヌス:「懺悔」人間は欲望を自制できない、か弱い存在
- トマス・アクィナス:「スコラ哲学」最初の最初の原因は神様しかない
- ニーチェ:「超人思想」人間の本質は、力への意志
トマス・アクィナスの理性
12世紀頃、キリスト教の神学と、アリストテレスが確立した論理的な哲学との間に、矛盾が生じることが問題になっていました。
例えば「全能の神は『重すぎて絶対に持ち上げることができない石』をつくることができるか?」というパラドックス。そういう石をつくれないなら全能ではないし、つくれるならその石を持ち上げられないのでやはり全能ではない、ということになります。哲学は、このようなパラドックスを用いて「全知全能の神なんか存在しない」と論理的に主張できてしまうのです。
それに対して、トマス・アクィナスは、「神学」を「哲学」の上に置こうと頑張ります。例えば、理性的に考えれば、どんなものにも原因があると考えるのが当然です。では、「一番最初の最初の原因って何ですか?」と問います。現代であれば、ビッグバンという答えが出るかもしれませんが、それにも、「じゃあビッグバンの原因は?」と問うことができ、結局のところ、最初の原因を突き止めることはできません。つまり、最初の最初は「全てを超越した何か」である神が存在したと言わざるを得ないのです。
トマス・アクィナスに関しては、以前レビューした三田一郎さんの『科学者はなぜ神を信じるのか』にも取り上げられていました。
トマス・アクィナスの神学がめざしたのは、信仰と理性の一致でした。いうなれば、神の存在を「科学」によって証明しようとしたわけです。そして、彼が「理性」としてもちだしたのが、1500年も昔にアリストテレスが唱えた天動説だったのです。
『科学者はなぜ神を信じるのか』第2章 天動説と地動説
宇宙の中心に神が存在する地球があり、太陽やそのほかの天体は神の手によって天球上を動かされているのだーートマス・アクィナスのこの考えこそは、理性による神の存在証明であるとされ、当時の教会にとっては正当性を主張するための絶好の後ろ盾となりました。こうしてアリストテレスの天動説はキリスト教公認の宇宙観となったのです。それはもちろん、地動説に「異端」の烙印が押されることも意味していました。トマス・アクィナスが説いた信仰と理性の一致は以後のキリスト教神学の主軸をなすスタイルとなり、「スコラ学」と呼ばれています。
第4ラウンド 存在の『真理』
「存在」について考えた8人の哲学者たち
「そこにモノがある」とはどういうことか。第4ラウンドでは、人類最古の問題、「存在」の謎に果敢に立ち向かった哲学者8人が紹介されています。
- ヘラクレイトス:「万物流転説」すべての形あるものはいつかは壊れ、形を変えて流れ去っていく
- パルメニデス:「万物不変説」存在するものは存在するし、存在しないものは存在しない
- デモクリトス:「原子論」延々と分割していけば、それ以上分割できない究極の存在にたどり着く
- ニュートン:「ニュートン力学」万有引力の法則、力学方程式
- バークリー:「主観的観念論」存在するとは知覚すること
- フッサール:「現象学的還元」あらゆる確信は主観的な意識体験による
- ハイデガー:「存在論」存在は人間の中で生じる(著作は未完)
- ソシュール:「記号論」言語とは、差異のシステムである
ソシュールの言語学
ジュネーヴ大学の言語学教授だったソシュールは、新しい言語学について考えを巡らせていました。それまでの言語学では、言語とは「モノに貼り付けられたラベルのようなもの」と考えられていました。それに対してソシュールは、「言語とは、差異のシステムである」という新たな概念を発明しました。
例えば、フランス語では「蝶」と「蛾」は同じ単語で表します。日本では同じ女きょうだいでも「姉」と「妹」を区別しますが、英語ではどちらも「sister」です。それぞれの文化によって、何を区別するか、が違っているということです。
つまり、言語とは「存在をどのように区別したいか」という価値観に由来して発生するものであり、その価値観の違いこそが、言語体系の違いを生み出しているのである。
31 ソシュール 世界を区別する
まとめ
西洋の哲学者、31人をわかりやすく紹介した本でした。哲学って何回読んでもなんか難しいなあ、と思っていましたが、この本はとても面白くて読みやすかったです。
全体を通して感じるプロレス感。私は分からなかったのですが、夫は表紙を見てすぐ「これバキだよね、前から気になってた」と言っていました。
東洋哲学編も読んでみたいです。ちなみに、息子は『正義の教室』が好きみたいで、よく読んでいます。私も借りて読もうと思います。
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