飲茶さんの『史上最強の哲学入門』の続編、東洋哲学編です。
いやー、第二弾も面白かった。というか、面白さがさらにパワーアップしていました。2020年に読んだベスト本はこの『東洋の哲人たち』で決まりですね。
論理的な西洋の哲学に比べて難解なイメージのある東洋哲学ですが、今回も笑わせてもらいつつ、そのエッセンスをだいぶ理解することができた気がします。
西洋哲学は「階段」、東洋哲学は「ピラミッド」
「今生きているこの世界とはいったいなんなのか?」「絶対的に正しいものは存在するのか?」
このような根源的な問いについて、「真理」を見出そうとするのが哲学です。
西洋哲学者は、自分の「無知」を自覚することで、絶対いつか真理に到達してやる、という熱い情熱を燃やします。しかし一人の人間がその短い生涯の間に真理にたどり着くことは困難です。だから、先人たちの哲学を学び、疑い、さらに強い哲学を生み出します。このように、西洋哲学は「階段」のように積み上げられて発展してきました。
一方、東洋哲学は、自分たちは「無知」であるというところから出発するのではなく、いきなり、
「我は真理を知りえたり。悟った。究極に達した」
というところから始まるそうです。つまり、ピラミッドの頂点にいる人だけが悟っていて、それを後世の人たちが「こういうことだろう」「いや違う、こうだ」などといろいろな解釈をする、という構造になっているということです。
つまるところ、東洋哲学とは、西洋哲学のように「たくさんの時間と人の手により、ちょっとずつ真理に近づいていく」のではなく、ある日突然、「真理に到達した」と言い放つ不遜な人間が現れ、その人の言葉や考え方を後世の人たちが学問としてまとめ上げたものであると言える。そして、このようなモデルの体系であるからこそ、ピラミッドの頂点にいる東洋哲学者は偉大な人物として現実離れした伝説が付加されていき、ついには教祖として祭り上げられ、その哲学が宗教へと発展していくのである。
東洋哲学とは何か?(1)
この考え方は目からうろこでした。なんで東洋哲学は、学問というより宗教っぽいんだろう、とずっと思っていたので、すごく納得できました。
インド哲学 悟りの真理
東洋哲学はインドから中国、そして日本へ伝わっていきました。その源流、インド哲学から。
- ヤージュニャヴァルキャ:「梵我一如」私とは認識するもの
- 釈迦:「無我」私は存在しない
- 龍樹:「空の哲学」般若心経、色即是空、空即是色
般若心経についても詳しく解説してくれていました。一言で言うと、
「物事が『空(関係性の中で成り立っているだけの実体のないもの)』であることを踏まえつつ、無分別(智慧)の行を実践して真言を唱えながら、えいやと悟りの境地にいたりましょう」
このように発展してきたインド哲学、仏教ですが、インドには大衆受けするヒンドゥー教が存在します。そこで仏教は東を目指して旅を始めます。
中国哲学 タオの真理
中国では、群雄割拠の春秋戦国時代に、国を強くする有能な人物を求めて知識人を登用するようになります。そこで起こった空前の学問ブーム。いわゆる「諸子百家」です。
- 孔子:「仁・礼」思いやりと礼儀作法の心意気
- 墨子:「兼愛」弱き者を助ける
- 孟子:「性善説」重要なのは民
- 荀子:「性悪説」ルールや規範が必要
- 韓非子:「形名参同」成果主義
- 老子:「道(タオ)、無為自然」脱力最強
- 荘子:「万物斉同」言葉によって境界が生まれる
ここで私が一番おもしろいと思ったのは、墨子です。群雄割拠の戦国時代に、
「愛だよ、愛。愛があれば、戦争は無くなるんだよ」
と説いて回った墨子。当然、戦国時代でお互い戦争しまくっている国が耳を貸すはずがありません。しかしそこであきらめず、行動を起こすのが墨子のすごいところ。なんと、強国に攻められ侵略されている弱小国のところへ行って、一緒に籠城戦を戦うのです。しかも強い。戦いを繰り返すうちに籠城戦のスペシャリストとなっていきます。すごすぎる…
以上のように、釈迦の哲学は老荘思想をベースにして解釈され、中国哲学・仏教という新しい流れが生まれます。しかし、中国での文化大革命などによって弾圧を受けてしまいました。そこで、彼らの偉大な哲学は、さらに東を目指します!
日本哲学 禅の真理
日本における東洋哲学は、聖徳太子に始まり、最澄と空海、法然・親鸞、栄西・道元へと続きます。戦国時代には親鸞の浄土真宗の信者らが一向一揆を起こし、最終的には織田信長に焼き討ちに遭う、など、教団としての力を世に知らしめるようになります。
江戸時代になると、徳川幕府は布教活動を禁止しつつ、日本人は全員どこかの寺の檀家になるよう定めました。仏教を潰さず、骨抜きにして存続させるという絶妙な政策を取って、今に至ります。本章で取り上げられている思想家は次の3人です。
- 親鸞:「他力本願」浄土真宗、念仏を唱えれば極楽浄土
- 栄西:「公案」臨済宗、なぞなぞ、禅問答
- 道元:「只管打坐」曹洞宗、ひたすら座禅
まとめ
頭で理解した、と思うだけではダメ。東洋哲学の「真理」は、決して言語化できない、強烈な「体験」なのです。「真理」とは何か、説明してと言われても、できないものはできない。そこで、どうすれば「悟り」を体験できるのか、うそ方便でもいいからその方法を体系化する、ということを目的としたのが東洋哲学だと著者は説明しています。
「体験としての悟り」や、「方便としての戒律」についての例え話も秀逸です。声を出して笑ってしまいました。哲学書なのに。ほんと皆さんに読んでもらいたいです。
本書に出てきた東洋思想家については、高校の世界史でも習いましたが、誰々が何宗をつくった、誰々の思想のキーワードは何、など、ひたすら暗記しかしていなかったように思います。高校生の時にこの本を読んでいれば、もっと楽しく勉強ができたのになーと思いました。
『史上最強の哲学入門』シリーズ、最初Kindleで買って読んだのですが、家族にも読んでほしくて紙の本も2冊買ってしまいました!
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