性同一性障害(現在は性別不合というそうです)に対するタイでの性別適合手術を斡旋する「アテンド業」を取材した本。
『性転師』って何?めっちゃ怪しくない??
タイでの「性別適合手術」をアテンドする人たちのことを指す、著者の造語だよ。タイトルと表紙は怪しさ満点だけど、内容はいたってマジメ。
性器の手術というデリケートで命にも関わることに、医療従事者でもなく特別な資格もない民間人が深く関わらざるを得ないという状況に、あえてこの怪しい「性転師」という言葉を使っているとのことです。
ですが、読んでみると決して興味本位とか、キワモノ扱いではなく、性別不合で悩む人たちのことを、非当事者の立場から知りたい、みんなにも知ってもらいたい、という真摯な気持ちが伝わってきました。
性別転換手術のアテンドという仕事
本書はタイでの性別適合手術アテンドの先駆け、アクアビューティーの坂田さんの取材を軸に進みます。
アテンド業というのは、タイの病院とのやり取り、航空券やホテルの手配、空港への出迎え、医療通訳、術後のお見舞いまで、手術に関わる全てをパック的にサポートしてくれるサービスです。
坂田さんは、元々アパレル関係の仕事をしていましたが、バブル崩壊後アパレル業に不安を感じていたとき、バンコクのホステスさんの美容整形話を聞いて、日本からの美容整形希望患者を紹介するアテンド業を思いつきます。
その過程で、性別適合手術を希望する連絡が多く入るようになり、そこにビジネスチャンスを感じて勉強を始め、性別適合手術斡旋ビジネスをスタートさせました。
「同情心とか、正義心ではないのだけど、そんなに悩んでいるならお手伝いしますよ、という感覚」だったらしい。ただ、「お金にもなるなら」と付け加えるのが、根っからの商売人である坂田らしかった。
第1章 性転師の仕事
性同一性障害とは
自分の産まれ持った身体の性(sex)と、心の性(自分自身が自分の性をどう感じているか: gender identity)が一致しない状態のことを「性同一性障害」と言います。
性同一性障害の診断
性同一性障害は以下のステップに沿って診断されます。
- 生物学的性(SEX)を決定(染色体検査、ホルモン検査など)
- ジェンダー・アイデンティティを決定(生育歴など)
- 生物学的性別とジェンダー・アイデンティティが不一致であることを明らかにする
- 性分化疾患、精神的障害など除外診断に該当しないことを確認
名称の変更
2019年5月のWHO総会で承認された診断基準ICDー11で「性同一性障害」が削除され新たに「性別不合(Gender Incongruence)」という項目が新設されました。
このことにより、身体の性と心の性の不一致は、精神疾患や病気ではなく、ひとつの個人の状態であるという考えが示されたことになります。
アメリカ精神医学会が出している診断基準DSMー5(2013年)でも、これに該当する状態は「性別違和(Gender Dysphoria)」と変更されました。
このような流れから、「障害」という言葉に象徴される「矯正が必要な、正常でない状態」として扱うのではなく、「ひとつのあり方」として扱うことが広まっていくと考えられます。
治療の3ステップ
性同一性障害(性別不合)に対する医学的サポートには、3つのステップがあるとされています。
- 精神科医のカウンセリングにより診断を受ける
- ホルモン治療を行い徐々に体の特徴を頭が認識する性に近づける
- 性器や乳房切除などの外科的治療
日本における性別適合手術の歴史
世界で初めて手術が行われたのは1930年デンマーク人画家のアイナー・ヴェゲネルで、このストーリーは『リリーのすべて』という映画にもなっています。
日本初の手術を受けたのは1953年永井明(女性名は明子)という方で、1953年のことであり意外にに古いんだなと思いました。
そして1964年に起きたのが、いわゆるブルーボーイ事件。
3人の男娼の精巣摘出時手術を行った青木医師が、「故なく生殖を不能にすることを目的として、手術、またはレントゲンの照射を行ってはならない」とする優生保護法に違反したとして逮捕され有罪判決が下された事件です。
判決自体は、手術そのものではなく、手術前の手続きが不十分だったため「正当な医療行為として容認できない」としたものでしたが、この事件以降、性別適合手術=違法というイメージが世間とくに医療界に広がることとなり、性別適合手術はアンダーグラウンドなものとなっていきました。
そして、ヤミでの手術やモロッコ、タイなど海外での手術が主流となっていったのです。
そして時は流れ、1998年埼玉医科大学で、倫理委員会を経てガイドラインに沿った日本初の性別適合手術が行われました。
以下は、埼玉医大の原科医師が同大倫理委員会に手術の実施を申請した際の概要です。当事者の方達の切実な思いと、それになんとか応えようとする医師の思いが伝わってきます。
性転換治療は本邦では全くタブー視されている問題である。これらの患者は肉体の性と、頭脳の中のそれとの相違に苦しみ、自殺にまで追いやられる場合もある。そして闇で行われる手術を受けたり、海外での治療を求めるなど、暗黒時代とも言える状況にある。諸外国、特に欧米諸国ではこの治療が合法化され、健康保険の対象にさえなっている国もある。この治療を医学的に系統づけ、これらの患者の福祉に役立つことを目的に女性ー男性の性転換を行う。
第4章 性転師誕生前夜
しかし2007年原科医師の退職により手術はストップします。その後ヤミで600件以上の手術を行っていた和田医師も53歳で死亡。
実質国内での手術がほぼできない状態となり、手術希望者がタイに流れる→必然的にアテンド業が発展、という流れができたのです。
戸籍上の性別変更要件
日本では、2003年に成立した性同一性障害特例法によって、現在は以下の5つの要件を満たせば戸籍上の性別を変更することができます。
- 年齢要件:20歳以上であること(成年年齢の引き下げに伴い、2022年4月1日から18歳以上に)
- 非婚要件:現に婚姻をしていないこと
- 子なし要件:現に未成年の子がいないこと
- 手術要件(生殖不能要件):生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
- 外観要件:その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること
以上の要件のうち、4番目と5番目が「手術要件」と解釈され、実質日本では性別適合手術を受けていないと戸籍上の性別が変更できない、ということになっています。
しかし、当事者の中には手術を望まず、戸籍を変更して、自分のgender identityと一致した性で生きていくことができればそれでいい、と考えている人もいます。また、世界の流れとしても、手術要件を廃止する国が増えています。
心身と経済的に大きな負担を与える手術を性別変更の要件とする日本の現行制度には、世界からも厳しい目が向けられており、2014年にはWHOから「性別変更の際に法律で手術を要件化するのはトランスジェンダーへの人権侵害」だという内容の声明が出されています。
日本でも性別適合手術が保険適用に
日本でも2018年4月から、性別適合手術が保険適用となりました。しかし、一般的に手術前に行われるホルモン治療は保険適用外のため、一連の治療が自由診療と保険診療との混合診療とみなされ、10割自己負担となってしまいます。実際、2018年からの1年間で保険が適用されたのはたった4件だったそうです。
また、性別不合の患者さんは、思春期の二次性徴で体が心の性とは違うものへと変化していく時期に、うつ状態になったり自殺を考えたりするケースもあるそうです。二次性徴抑制療法が行われることが望ましいそうですが、小児のため診断が成人以上に難しいことや、経済的な負担も大きいなど今後の課題も挙げられています。
まとめ
性別不合、性別適合手術の現状、これからの課題が詳しく取材されていて、非常に勉強になりました。
たくさんのアテンド業者に取材を行っていて、そのインタビューも非常に興味深かったです。
著者がこのテーマを取材したモチベーションは、性的マイノリティにあからさまな差別をする人は減ってきたものの、自分も含めどこか「腫れ物に触るような」態度があるかぎり、当事者にとって生きやすい社会は実現しないのではないか、というところにあります。
多くの人が性同一性障害を持つ人々を理解したいと思っている。だが私と同じように「外側」にいると思い込み、深く立ち入らない人も多いのではないだろうか。だから本書では、敢えて当事者ではなくそのひとつ外側にいるアテンド業を中心に、性同一性障害と性別適合手術の世界を描くことを試みた。取材を進めるうちに、私は自分が当然のように「男」なのではなくて、出生時に割り当てられた性が「男」で、認識する性も偶然同じ「男」なのだと意識するようになった。「外側」を強調してきたが、そもそも「外」も「内」もないことに今更ながら気付かされる。本書を通じて、筆者と同じような感覚を今、多くの読者と共有できているとすれば望外の喜びだ。
終章 「外側」から見た性同一性障害の話を。
本書を読んで、私もたまたま与えられた性と心の性が一致していたから普段何も思わないけど、これが一致していないとしたら、すごくきついだろうなと思いました。日本の状況も今後大きく変わっていくだろう分野です。これからも注目していきたいです。
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