【レビュー】改善のための冷静な現状把握を『教育格差』

一人一人がよりよく生きるために様々な機会を通して自己の可能性を最大化できる社会を。

目次

改善のための冷静な現状把握を

子供たちに影響する格差について興味があります。生まれた環境によって、スタート地点が異なり、頑張ることすらできないというのはおかしいだろう、と。

この本は圧倒的なデータから、現在の日本に存在する教育格差の実態と、そのメカニズムを解き明かしてくれています。

著者の松岡亮二先生は、教育格差についての論文を多数執筆されています。

出身家庭と地域という本人にはどうしようもない初期条件によって、子供の最終学歴が異なり、将来的な収入・職業・健康などさまざまな格差が生まれるベースとなっています。

これは、アメリカなど海外における研究で明らかになってきていることですが、日本でのデータを検証し、教育格差の実態と、これから私たちが行うべきことの提案を行っているのが本書です。

本書の構成

いつの時代にも、どの世代にも教育格差がある、ということを第1章でみた後、就学前、小学校、中学校、高校、それぞれの現場での教育格差の実態を第2章から第5章で、世界と比較した日本の現状を第6章で確認し、最後の第7章で、私たちはこれからどうすべきか、著者からの提言を聞く、という構成になっています。

以下、本書の目次に沿って、概要を書いていきたいと思います。

第1章 終わらない教育格差

親の学歴と子の学歴との関係について検討しています。

全ての年齢層・性別で出身階層(父大卒かどうか)によって大卒割合が異なりました。また、住民の大卒者割合の地域格差は、戦後一貫して拡大傾向にあることがわかりました。

さらに、ほとんどの年齢層・性別で、「不利な状況」を打破して大卒となった人たち(職業科高校から大学進学し大卒となったグループ)の平均的な階層は高かったのです。

これらの結果から、「生まれ」(出身階層・出身地域)による教育格差は、決して昔のことでなく、時代を超えて根強く存在することがわかります。

「いつの時代にも教育格差がある」

しかし、現代の高校進学率は97%を超え、大学進学率も55%となっています(文部科学省)。生まれの差なんて問題じゃない、貧しい家庭から頑張って大企業の社長になった人もいる、というかもしれません。

確かにそのような方はものすごい努力をされたんだと思いますが、果たしてそれは誰にでも言えることなのでしょうか。

「機会は平等」という言葉の下には、「結果が出ないのは本人の努力がたりないからだ」という意識が隠れていないか。実際、本書の調査結果は、大学卒業割合にはその子の出身階層が今も影響していることを示しているのです。

「制度上は可能」であるとか「誰にでも機会が開かれている」という言葉は「(可能なのだから後は)本人(の能力と努力)次第」というメッセージを含意するが、実際に「上昇」した個人の出身家庭は恵まれた階層に大きく偏っているのが現実である。

教育格差

第2章 幼児教育

意図的養育と放任的養育
アメリカでの研究で以下のことがわかっています。

中流家庭の親は子供の生活に意図的な介入を行うことで望ましい行動、態度、技術などを形成しようとします。具体的には、習い事、テレビ視聴時間の制限、論理的な言語による大人との議論の奨励など。(意図的養育)

一方、労働者階級・貧困家庭の親は、大人の意図的な介入はなくても子供は育つと考える傾向があります。(放任的養育)

日本での調査結果からも、親が大卒であると早い時期から習い事をさせる、メディア時間を抑制する、などの意図的養育をする傾向が確認されました。

就学前から、教育格差は生まれています。

第3章 小学校

私立小学校進学者を除けば「みんな」が近所の公立校に通うので、誰もが同じ条件で小学校生活を開始する、と思うかもしれませんが、公立校であっても教育「環境」は同じではないことが調査の結果明らかとなりました。

公立学校は全ての人に社会的上昇が可能な機会を提供する制度、すなわち初期条件の平等化装置として期待されているが、実際は格差をゼロにするほどの力はないということです。

「生まれ」によって児童は異なる「ふつう」を生きる。家に本がたくさんあり、親に大学進学を期待され、習い事や通塾することが「ふつう」な子もいれば、そうでない子もいる。同様に、公立であっても各小学校には異なる「ふつう」がある。近所の「みんな」に合わせても、それが都道府県や日本全体の平均とは限らない。

教育格差

確かに、公立小学校でも地域によって、教育熱心な家庭が多いところ、そうではないところがある。クラスのほとんどが中学受験をするところもあれば、ほとんどが公立中学に進学するところもある。というのは私も実感があります。

公立校であっても、親の学歴、学校や地域によって子供たちは異なる現実を生きているということです。

第4章 中学校

中学生になったということは、高校受験という教育選抜の時期が近づいてきたことを意味します。定期試験で学力が測られ、公式に格付けされます。

公立中学校であっても、学力、大学進学期待、通塾、メディア消費、親の学校関与全てで学校SESによって「ふつう」が異なります。

特に都市部では高SES(socioeconomic status)・高学力層が私立中学に抜けるため、公立校におけるSESと学力は小学校よりも均質化します。

このことは、高い学力があり、大学進学期待を持ち、学習努力を惜しまない層がいなくなり、平均が下がることを意味します。

第5章 高校

高校では生徒たちが学力によって異なる学校に選別されます。日本の高校教育の特徴は、学校間で大きな学力格差がある垂直的なランキング構造を持つことにあります。

義務教育の終わりで「生まれ」による格差があるので、能力選抜の結果、高ランク高校は往々にして高SES校となります。

親の支援を受け、学習意欲にあふれ、塾・予備校に通い、学習時間も長い前提で教育が行われる「進学校」の文化は、「生まれ」が支えているのです。

もちろん低ランク校から大卒になる人もいますが、第1章でみたように、低ランク校や職業科から大卒となった人たちはもともと「生まれ」が比較的高い傾向にあるのです。

第6章 凡庸な教育格差社会

日本の公平性は他国に比べて高いわけでも低いわけでもありません。他国と比べれば比較的平等な教育機会が提供されています。

しかし今後、国内でSES格差、地域間の大卒居住者割合の格差が拡大すれば、少しずつ結果は悪化していくことでしょう。

そうならないために私たちができることは何か。最終章の第7章に著者の提言を聞くことができます。

第7章 わたしたちはどのような社会を生きたいのか

「生まれ」による見えづらい機会の格差が存在する緩やかな身分社会という現実に対して、わたしたちには何ができるのでしょうか。

提案1:分析可能なデータを収集する

教育改革だといって新しい政策を実施するのであれば、しっかりとデータと取り、分析可能なデータを蓄積するべき。理想は常に日本各地で様々なRCT(Randomized controlled trial)が行われ、活発に研究知見が共有されること。

日本各地でこのような実験を行うことは、全員ではなく一部の児童生徒に別のプログラム機会を与えることになるので、「扱いの平等」に反する。しかし、義務教育の公立校であっても学校間には大きなSES差があるわけで、大半の児童生徒が大学進学期待をもち通塾している学校とそうでない学校で、まったく同じ教育行為が行われていると見做すのは現状で無理がある。「扱いの平等」という実態を伴わない建前を理由に実験を忌避するのではなく、研究で結果を出し、知見を応用して全体として教育実践の質を高めていくことを提案したい。

教育格差

提案2:教職課程で「教育格差」を必修に

教師は比較的高SES層出身だということがわかっています。

教育格差について大学で体系的に学ばなければ、低SESの児童・生徒が日々どのような現実をくぐり抜け、その総体として授業に関心を持たないように見えるのか理解できないことでしょう。

もし教育格差を教えない教育課程の現状を放置するのであれば、比較的高SES層が教師となり、低SESの児童と親に対して(悪気のないまま)低い教育期待を持つという負の連鎖が続くことを制度として看過していることになります。

それは「平等化」機能を託された教育制度の中における矛盾を放置する過失だと著者は言っています。

まとめ

本書で明らかにされている分析結果により、日本には昔も今もずっと教育格差があったことがわかりました。しかし、この結果にがっかりして、どうしようもないとあきらめてしまいたくはないと私は思います。

スタート地点から他の人と差があり、その差は本人がいくら頑張ろうと思っても埋められない、そもそも頑張ろうという選択肢もない、というのはおかしいと思うからです。

まずはこの事実をみんなが知ること。

そして、スムーズに大学へ進学して、卒業して、思い通りの職業につけた人は、それを完全に自分の努力の成果だと思わず、たまたまそういうSESで育ち、勉強できる環境が与えられた、ラッキーだったんだ、ということを自覚したほうが、世界がよくなるんじゃないかと思いました。

平成31年度東京大学入学式祝辞(上野千鶴子)

最後に、教育格差について考えるときにいつも思い出す「頑張ったら報われる、と思えるのは環境に恵まれていたから」という東京大学入学式での上野千鶴子さんのスピーチを引用したいと思います。

あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

平成31年度東京大学学部入学式祝辞
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